ナイロビ ダウンタウン

人でごった返す夕方、黒人の波に紛れてすすむ。
陽が落ちる前にホテルに帰らなければ危ないので、早足で。
小学生くらいの女の子がほんのすぐ脇を通り過ぎた。
いくら人で溢れかえっているとはいえ、ずいぶん私の体すれすれに通っていったな、と少し不思議に思った。
女の子が通った側の自分の体に目をやると、閉じていたダウンジャケットのポケットのジッパーが開いていた。
確かに、絶対に閉まっていたはずなのに、ジッパーをおろされた感覚はなかった。
それでも「やられた」と反射的に思って、目の前を見ると、私の横を通り過ぎていった女の子が仲間らしき男の子に戦利品を見せて舌打ちしている。

私は女の子の肩を叩いた。
「それ、私のでしょ」
声をかけると、女の子は一瞬ビックリした表情になり、次にさも「拾ったのよ」というような表情で「あ、そうなの、ハイ」と手渡してきた。
どこの世界に道端に落ちている「トイレットペーパー」を拾ってしまう子がいるだろうか。
少女は私のポケットの中にお財布を期待して、まさか入っている物がトイレットペーパーだけだとは思わなかったに違いない。
少女があまりにも素直にトイレットペーパーを、少し笑みさえ浮かべ返してきたので、私は怒ることもできなかった。

ナイロビのダウンタウンにはスリが多いと聞いていたけれど、
自分が被害に遭うと、びっくりしてしまう。
被害と言ってもトイレットペーパーだから、後で笑い話になってしまうのだけど、あんなに小さな少女がスリの常習犯だということは少しも笑えない。
ぼろぼろのジャージを着て、キャップを深くかぶり目を決して人と合わせない少女がかわいそうに思えた。

その日、私達はギゴンバマーケットという、世界で最大とも言われる古着の市場に遊びに行っていた。
古着市場の手前には食べ物のマーケットが広がっている。
食べ物がゴミの散らかった道路にそのまま置かれ、売られている。
見渡すと、アフリカのスラムに広がるマーケットは他の国のどのマーケットよりも混沌としていた。
ふと脇の建物に目をやれば、コンクリートは崩れ、窓は割れている。
トタン屋根の家にぼろぼろの衣装を着た人達が見える。
下水の設備が整っていないのだろう、いたるところで小便の匂いがする。

ナイロビにはケニア中から労働を求めて人が集まってくる。
東京と同じように、地方は過疎化がすすみ、都会に人口が過密する。
お金を持たない人々はスラムにトタン屋根の家を建てるしかないので、年々ナイロビのスラムは広がっていて、それは国際都市として大きな問題となっている。
年々、貧富の差が増すということは、犯罪が増える可能性を孕んでいるからだ。

ダウンタウンから、リバーロードという道をこえていくと、スーツをパリッと着こなしたビジネスマンの闊歩する東京となんら変わらない光景があるのだから、その貧富の差は目に見えて辛い。

犯罪が起きるのはダウンタウンに集中していて、旅行者が被害にあうのももちろんダウンタウンに集中している。
人の少ない日曜日と夜は決して町を歩かないこと。
これがナイロビの常識だ。
ダウンタウンは悪の温床のようにガイドブックに書かれているが、実際には子どももまじめな市民も住んでいて、学校も病院もある。
普通の人間の生活がここでもまた営まれているのだ。
ダウンタウンの外の光景を目にしたりしなければ、うらやましいとも思わず、犯罪も起きないのだろうけど、なにしろ目の前に大都会と富が広がっているのだから、ダウンタウンに住む市民の焦燥は想像しがたい。
快適な暮らしをしている人の前で、どうして自分達はこんなにも貧しいのか。

悲しいなと思いながらダウンタウンのマーケットを歩いていた。
途中、荷台に詰まれたマンゴーを買った。
おじさんに「甘いのを選んで」というと、おじさんは一つのマンゴーをとりあげナイフで剥いた。
が、その色が悪かったからか、もうひとつ、大きなマンゴーを取り上げて剥きなおして手渡してくれた。
「大きいのは本当は高いんだけど、これはサービスだよ」
おじさんの笑顔がまぶしかった。
人に親切にするといい気分になるのは、どこの世界でもきっと一緒なのだ。
マンゴーを齧ると、太陽を詰め込んだようなまっ黄色の果汁が口の中に溢れ、強烈な甘さが広がった。
ものすごくおいしくて、驚いた。
旅行中に食べたマンゴーの中で、一番印象に残っているのがナイロビのスラムで食べたマンゴーだ。

犯罪を犯すこはもちろん悪いことなのだ。
でも、そのお金がないと家族が飢えてしまうとしたらどうしたらいいのだろう。
ダウンタウンは怖い。
でも、それを生み出した社会の方が、本当はもっとずっと怖くて残酷だ。

そして、この社会には、ナイロビの現実をを黙認している人々がいる。