「飢えない程度のお金があったら、貧しくても日本よりこっちの人ほうが幸せだよ。暮らしている人達の表情を見たらわかる」
タンザニアのモシという町で、青年海外協力隊の一員としてコンピュータを現地人に教えているおさむ君がそう言った。
心からそう思っているという、ほがらかな笑顔で言った。
心からそう思えるのは、すごいことだ。
お金よりもたくさんの笑顔が幸せの尺度だと、心から思えたら日本人の心はずっと軽くなると思う。
私も日本で仕事をしている時は、貯金がいくらだとか、車のローンだとか、子どもの教育費だとか、老後の心配だとか、年金のことだとか、お金の心配ばかりしていた。
日本ではそんな情報が溢れていて、お金という紙切れが大事、紙切れを得るために働くことが大事と思い込まされる。
笑顔になる回数だとか気にしている人、いるのかな。
お金がないと不安で、お金があったほうが絶対幸せだと思い込んでいるのが、日本人のほとんどじゃないかな。
仕事をしてお金を溜めて、将来は絶対こうなるぞっていう目標を持っている人も多い。
それはすごいことだけど、大切なことだけど、そのためにないがしろになっていることはないだろうか。
おさむ君は「日本の人は裕福になりすぎて、生きる意味をいろいろ考えすぎているんじゃないかな」というようなことも言った。
確かに一理ある気がした。
モシの人は生きることに一生懸命で、その日の家族と一緒にご飯を食べることだけ考えてるように見える。
将来の夢だとか、やり遂げたいことだとか、おそらく考える余裕はないけれど、いい笑顔で生きている。
毎日、仕事中だって、げらげら笑っている。
仕事中におしゃべりしたって叱る人はいない。
仕事中でも、しゃべるのが仕事だっていうくらい、どこの店に入っても店員同士でおしゃべりしていたり、お客さんと商売とは関係のないおしゃべりしていたり。
とにかく楽しそうだ。
日本人から見たら、仕事をまじめにやりなさい!って思うけれど、おしゃべりは人との関係を築く最初の一歩だ。
そう、彼らは人間関係を毎日築いている。
考えたら、日本ってそんな余裕がないな。
文化の違いだと言ってしまえば簡単だけど、もっと無機質で無感動な付き合いをいろんな人としている、それが日本の仕事現場じゃないだろうか。
そして、それはきっと仕事だけにとどまらず、家庭にもつながっている。
家族で心からの話し合いをする機会って、いったいどれだけあるだろう。
日本人よりずっと笑顔になる回数の多いモシの人達。
どう考えても、日本より貧しく、家にクーラーなんてないから、毎日暑くて汗だくになって暮らしているモシの人達。
家族で一部屋なんて当たり前、プライベートなんて何もない。
毎日一緒の部屋に暮らしていたら、恥も外聞もなく、本気でお互いをぶつけあって生きていかなくてはいけない。
でも、それが本当の人間関係を築くのには大切なことなのだ。
自分の生まれてきた意味を考えられる日本人は、ある意味ものすごく幸せだけれど、その分責任があり、大変なこともあって、何もかも器用にこなしていくのはとても難しい。
モシの人のように、ただその日を家族のために、友人のために生きていくことは、単純なように見えて、とても重要なことだ。
一番重要なことだ。
私は日本人だから、お金も大事で、将来の目標もものすごく大事だと思っている。
でも、ここに来て思ったのは、ただひたすら、人との付き合いを大切にしていくことが、何度も 笑顔を生む条件
だということ。
モシにはストリートチルドレンがちらほらいる。
町は比較的きれいだけれど、一歩奥に入ると、舗装されていない道路に草や木で作られた簡素な住宅が並んでいる。
ほとんどの家で農業をしている。
子どもも労働力となるせいなのか、お金がないせいなのか、おそらく両方の理由で学校に行っていない子どもも多い。
そんな田舎にある子どものための補修施設「子どもセンター」に行った時のこと。
机のない教室の床には、たくさんの子どもが座っていた。
一つの教科書を10人くらいの子どもたちが囲んで、ノートに課題を書き写している。
教科書が1人1冊あるというのはとても恵まれたことなのだ。
ある子は、さかさまから教科書を覗き込んでいるけれど、不満を言う様子はない。
みんなで使うのが当たり前だと、みんな知っている。
勉強しなくていいのに、わざわざこの子どもセンターに来るのは勉強がしたいからなのだろうか。
それとも他の子ども達と会えるからなのだろうか。
わからないけれど、みんな一生懸命でかわいい。
課題が終わると、みんなでわいわい。
私達も混じって「幸せなら手をたたこう」をみんなで歌った。
彼らははじけるように笑っていた。
みんな友達を大切にすることを知っていた。
この「子どもセンター」は日本人の女性が運営している施設だ。
彼女もまた誰かのために毎日を生きている。
それは多分、本当に幸福なことなのだと思う。

