インドに来て2ヶ月、やっと着いたバナーラス。
やっと着いたガンジス川。
とりあえずガンガー(ガンジス河の英語名)を見ずにインドは語れまい。
ガンジス川でバタフライせずに、たかのてるこファンは語れまい。
ヒマーラヤの水を集めたガンガーは悠々と平原を流れ、3000年以上の歴史を持つヒンドゥー教最大の聖地、シヴァ神の聖都バナーラスを作った。
ヒンドゥーの聖地であるガンガーはそれ自体が女神とされ、母なるガンガー様として崇められている。
ヒンドゥーの信仰によると、ガンガーの聖なる水で沐浴すると、すべての罪は浄化され、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば、輪廻から解脱を得るという。
もちろんプリーで会った女の子に、肛門から虫が入って入院した話しも聞いていた。
もちろんプリーで会った男の人にコンドームをかぶせないで川を泳ぐと先端から虫が入り、睾丸が腫れるとも聞いていた。
もちろんプリーーで会った男の子に目にばい菌が入り、一週間眼球注射を打ち続けたという話しも聞いていた。
ガンガーどんな恐ろしいところなんだろう。
怖さと同時にたまらない好奇心もあるわけです。
長距離旅行者は、入っちゃいけない聖なる河。
日本に直帰できる人は、日本で治療できるから入ってもいいというとんどもない河。
日本に腸チフスや肝炎を持ち帰ってしまうと言う噂は数知れず、8割の人がなんらかの体調異常を起こすらしい。
・・・・・・。
無理してでも河に入った方がいいんだろうか。
とりあえずガンガー沿い歩いてみようかな~。
それにしても、ヒンドゥー教でもないのに観光気分で河に入るなんて、ヒンドゥー教徒にちょっと失礼なんじゃないかしら、それともこれは私たちがびびってるから言い訳を考えてるのかしら、なんて二人で話しながらぶつかったのは、火葬場だった。
この河で最後を迎えることはヒンドゥー教徒にとっては最高の幸福とされ、年間100万人を超える巡礼が訪れ、中には死ぬことを目的に来る人もいる。
そんな河の火葬場だから、一日中煙が途絶えることはない。
聞いたところ火葬場では1日約300体の遺体が焼かれるそうで、一人燃やすのに3時間かかるそうだ。
死者がガンジスの水に浸され、火葬の薪の上に載せられると、喪主が火をつける。
喪主は夫が亡くなったら妻がつとめるように、一番近い親族が務めることになる。
最愛の人が亡くなり、本当に最後の大事な役目を託される。
火をつける人の気持ちはどんななのだろう・・・・・・。
輪廻の輪から抜けると言うのだから、あの世でずっと一緒になれると信じて薪を燃やすのかもしれない。
ふと、そう信じて死に往く人たちも死を見送る人も幸せかもしれないなぁと思った。
私たちにはわかりにくい感覚かもしれないけれど、彼らにとっては死は新たなる生なのだ。
彼らは母なるガンガーに身をゆだねる安堵感に浸り、死んで母に抱かれてヒマーラヤに帰っていく。
インド、ここでの生の濃さを思わずにはいられない。
この雑踏を生き抜くにはかなりの体力がいる。
インドに来たら誰もが、膨大な人のエネルギーを感じるはずだ。
ここで、生きるのは大変な場合が多い。
今、運ばれてきた遺体に火が付けられた。
たくさんの親族が遺体を囲む中、それはおごそかにゆっくりと燃え始めた。
インドに死には、生が躍動した分だけの特別な静寂が必要だと思う。
燃える遺体を見て、なんだか息がつまる。
他の場所で遺灰は、ガンガーにゆっくりと流され、ずっと安らかになっていくのが見える。
帰っていく。
ガンガーはインドの命の源なのだ。
ずっしりとそう感じた。
子どもの場合は荼毘に付されず、石の重石をつけて河に沈めるらしい。
かれらはまだ人生を経験していないからだそうだ。
だから、ガンジス河にはよく子どもの遺体が浮いている。
私たちが思うよりずっと、ここはインドの心の拠り所なんだなぁ。
火葬場を見た後、さすがにそのノリで河に足を浸すこともできなかった。
決して、臆病風に吹かれたわけではないことを言っておこう。
決して。決して。決して。
もちろん、病気にはなりたくない。
でも一番の理由、ここは聖なる河なのだ。
私たちにではなくヒンドゥー教徒にとっての。
昼間行った河に夜も顔を出してみると、そこでは何かの祭典が行われていた。
子どもも大人も大勢の人が音楽を楽しみながら、船の明かりを照らし返し、ゆっくりたゆたうガンガーを眺めていた。
生きることも死ぬこともこの河はずっと見ているんだ。

