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ジャングルとの対話

シンプルライフ


ジャングルでの朝は鳥の鳴き声から始まる。まるでタモリの一人ジャングル。

眼下には湖が一面に広がるジャングルの山の中腹で、壮大な景色の中起きがけに思わず深呼吸をする。

木が光合成したばかりの作りたての空気が冷たくて、喉が気持ちいい。


ここではすべてがシンプル。

電気も通っていないから、朝日がでてきたら目覚め、夕日が沈んだら月明かりとランプを頼りに夜ごはんを食べる。

ごはんももちろん、木を燃やして火をおこし、その上で作る。

シャワーは竹筒から溢れる川の水。

自然のままだから、土が混じり、透明ではない水だけれど、慣れてしまえばノープロブレム。

ただし、夜浴びるのでは、寒すぎて風邪をひく。

トイレにも扉はなくて、川の上をまたぎ、二枚の木の板が置いてある。

そこを足場に、用を足した後は川の水ですすぐ。

夜はランプがなければ道も歩けない。することはゆっくり語り合うか、眠ることくらい。

ここで暮らすと、人間って本当に自然の中の一部なのだと肌で感じることができる。

自然との共存することを生活の一部とする人間は、どう考えても自然なしでは生きていけない。

そして、自然との対話は思いのほか気持ちよく、エネルギーを与えられているような気持ちになる。

太陽の輝き、木々のざわめき、水のせせらぎ、動物の鳴き声にいろどられたシンプルな生活。

自然そのものが相手だから、楽なことばかりではなくって、ヒルに刺されたり、サルに襲われそうになったり、おなかを壊したりと大変なこともたくさんある。

それでも、だからこそ、自然って一筋縄ではいかない、人の手に負えない偉大なもののひとつだと気づかされる。


日本という大都会で育った私たちはともすると、科学の力で自然を従えて生きている。

だから、自然は操作できるものだとつい錯覚してしまうこともあると思う。

自然が大変な扱い難いものだということを忘れ、あなどると大変なことになるのだと気付かないままある日、取り返しのつかない日がやってくるかもしれない。


だから思う。

自然と共に生きる生活をどうぞ、おためしあれって。

時間はとても穏やかに過ぎる。

ゆっくりと体を自然に預け、いろいろなことに思いを巡らし、自分を振り返り、確認してほしい。

何を大切に生きていけばいいのかと。

 

ここはスマトラだけれど、日本にも自然を感じさせてくれる場所がいっぱいあります。

仕事の骨休みに是非お試しあれ。

同じ時代に50キロと離れていない場所に、それぞれが仏教・ヒンドゥー教の世界的な寺院を築く。
それぞれの規模の大きさ・独創性・異質な存在感に圧倒させられた。
その巨大な遺跡は日常の建物からかけ離れすぎ、人の住む世界とは思えないような重厚な雰囲気が漂っている。

ふと、この巨大な遺跡は何のために作られたのだろうと考える。

たとえばボルブドゥール、ここにはストゥーパという塔がいくつも建っている。
この塔は3層にわたって構想されており、一番下の層の塔には菱形の窓があり、これは不安定な俗界の人の心を表す。
そして真中の塔には正方形の窓があり、安定した賢者の心を表す。
そして、一番上の塔には窓がなく、無の世界に収束していく。

当時の人たちが心の平安を求めていたのではないかと偲ばれる塔なのだ。


もしかしたら、遺跡を作ることで、平安が生まれると信じていた人がいたかもしれない。
そう信じて遺跡を作ることに一生をささげた人がいたかもしれない。

彼らが生きていたとしたら、今の世の中をどう思うだろう。


ほとんどの宗教は人の平安を求める心を拠り所として成り立っている。

それなのに、地球には宗教が違うというだけで、違う神を信じているというだけで、争いを続けている地域がある。


それはきっと望まれていないことじゃないかしら。

この巨大な遺跡群は問いかけている。
幾百の年を越えて人とはなんなのかをきっと今も見守り続けている。

そんな気がした。

アイランド・トリップ

賑わった場所を離れ、島に出てみる。
毎日、物売りやタクシーの客引きと格闘していた場所から静かなところへ。

そこには、自給自足で昔ながらの生活を続けている彼らがいる。

俺達が行ってきたロンボク島には、「ササッ人」という民族がいる。
彼らも例外なく、今なお伝統を守り続けている。
ただ、どうしても納得がいかないのは、その小っちゃい「ッ」は発音しなければダメなのだろうか?
「ササ人」でもいいんじゃないかと思う。言いにくいし、無理に「ッ」と言わなくてもそんなに変わらない。

あと、以外に日本語がお上手なのね・・・。
インドネシア(インドネシアにはさまざまな言語があり、彼らはササッ語を話す)語が出来ない彼らも、英語と日本語は生きていくために必要らしい。

村のガイドは、俺達を日本語の単語で村を案内してくれた。

今、この村では、村の維持のため、村人が自らガイドとなり、自分の村を紹介してくれている。

それが、外の世界との小さな繋がりだ。

案内されてきた異国の俺達を見て、ここでしか生活をしたことのないこどもたちは何を思うのだろう。
みんながにこにこと迎えてくれるのはどうしてだろう。


かやぶき屋根に牛の糞を固めた床のお家の中では、おばあちゃんがお祈りをしていた。
多分、聖地に向かって頭を何度も床にこすりつけるようにお祈りしていた。
そんな中、突然、邪魔しに入ってしまった俺達に、笑顔で挨拶をしてくれるのはどうしてだろう。

俺は思うんだけど、きっと、彼らは人を信用しているんだろうな。
小さな村ではみんなが助けあっていかないと生活を維持していくことができないから、彼らは人は助け合うものだってことを自然に思っているのかもしれない。
だから、人を信用する。
これって人間関係を築いていくのに一番大切なことだけど、誰に対しても笑顔で接することができるということはすごいことだよな。
見習わないと・・・・・・。

自給自足の生活を不意に羨ましく思うことがある。
日本ではほぼありえない生活。

自分の好きに使える時間が多い反面、やらなければいけない仕事もたくさんある。
自分たちの食べる動物の飼育や畑仕事。

女の人が頭の上に重い荷物を背負って当たり前のように歩く姿、みんなでお風呂の代わりに井戸で体を洗う姿。
それを見ていたら、すごいとは思うけど、一緒に生活をしていく自信はなくなった。

それでも、彼らのこと、尊敬したよ。
自分たちの生活をずっと守り続け、誰にでも笑顔で接していくことは簡単ではないだろう。


ロンボク島からさらにボートで行きついた「ギリ・アイル」では、さらにのんびりしていて、声をかけてくれる人も多かった。

きっと、これからもこんんところがたくさんあるんだろうなぁ~。

何にもすることのない島で、ただ島の優しさに触れて、1日を過ごす。
ただそれだけの中に各地の違いや特徴を感じていきたい。

あとは、もうちょっと積極的に溶け込もうとすることが必要だな。

1人でも多くの人に俺達の存在を知ってもらいたい、彼らのことを知っていきたい。

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