ラオスの最近のブログ記事

僕たちの見たラオス

ラオスで癒された人は多いと思う。
目が合うとほとんどの人がニコッと笑ってくれる暖かな国民性。
駆け引きを知らない商売下手な人々。
恥ずかしがり屋ですぐにはにかむ子どもたち。

ラオスの何が良いって言ったらとにかく人がものすごく良い。
東南アジアで一番なんじゃないかな。

そんなラオスだけれど、ラオスってどこ??って知らない人も多いと思う。
ラオスには素晴らしい人々と素晴らしい自然がたっぷりある。

ラオスの人がどんな人か、どんな国なのかをちょっと書いてみよう。


まず、国民性はボーペンニャン。
日本語のニュアンスは「気にしない!!気にしない」
と、さばさばした人柄が好まれるらしい。

ビエンチャンで訪ねた指差し会話帳の著者の方はレストランを経営している。
ここでラオス人気質の真髄を聞いた。
彼によるとラオスは日本人の常識をぶち破る面白さがたくさんある。

まず、遅刻は平気。
何度しても反省はしないらしい・・・・・・。

経営者やマネージャーが本人に気を使って「気にしないでいいよ。次から気をつけよう」というのは日本でもよくある光景。

ラオスでは・・・・・・

遅刻した本人が明るく笑顔で、

「ボーペンニャン」

と言ってくるらしい・・・・・。


これは上司なら普通怒るはず。

ラオス人はというと、怒ると拗ねて働かなくなるらしい。

子どもじゃないんだから!といいたくなるけど、やっぱり彼らは純粋な子ども心を大人になっても保ち続けているのだ!!

プライドが高いのか、素直すぎてショックを受けてしまうのかは知らないけれど、この自由さはちょっとうらやましいかも・・・・・。

ラオスでレストランを経営して学んだことは怒らないことらしい。

私たちも食事したときにラオス人のアルバイトの学生が何度もお会計の金額を間違えて持ってきた。

5回以上。

最終的には計算機を貸してあげた。

でもアルバイトの彼は笑顔でエヘヘと笑い、謝ることはない。

こんなときに日本の上司なら怒ってしまうはずだけど、ラオスでは「もう一回確かめよう」くらいが調度いいらしい。

ちなみにアルバイトの学生の子の笑顔がかわいすぎて、何度ミスされても嫌な気持ちにならず、許してあげてしまうのは、ラオス人の魅力にはまっているからなんだろうか。
それともラオスを流れるメコン川に夕日が映り、大量発生するピンクの靄に体が侵されているのかもしれない・・・・・・。
なんにせよ、心が寛大になっている自分を体感できるのは素晴らしいので、許す!笑。


そして、彼らは普通に何も連絡なしに休むらしい。
そして、何も理由を言わずにまた働きに来るらしい。

これでは日本じゃ首が飛ぶこと間違いなしだけど、彼らに責任感という認識はないそうだ。
だから、ここで首にしたって、次に働く人も同じだからこっちもボーペンニャン」と思うしかない。
こうして、新しいラオス人が誕生するわけだ。
仕事に責任がないということは、ストレスゼロの社会ということ!
素晴らしい!!

とにかくストレスゼロの社会で生きたいならラオスがおすすめ!!


そのほかに、彼らは揉め事・喧嘩が大嫌い。
友達が誰かと揉めていても、絶対に関わらないよう距離を保つらしい。
軽薄に感じるけれど、ラオス人の温厚さを物語ってはいる。
こんなとこにも、ストレスを避ける見事な精神が表れているのだ。


おかげで彼らはベトナム戦争のときも、ベトナム人からラオス人はすぐに逃げると馬鹿にされていたらしい・・・・・・。

かわいそうだけど、なんだかわかる気がする・・・・・・。


それでも独立のために戦ったラオス人もたくさんいる。
彼らの気質から考えて、苦痛だったに違いないので、今でもアメリカ嫌いな人が多いみたいだ。

さて、ラオスは戦争してたなんて事実もあまり知られていないと思うけど、
ラオスは世界で一番爆弾が落された国だそうだ。

ベトナム戦争の折、『北爆』と呼ばれたアメリカ軍の空爆はラオス北東部を中心に約300万トン落としたという説があって、これは当時ラオス全人口一人につき約1トンもの爆弾が落とされたという計算になる。

ラオスだけでなく、アメリカがベトナム戦争で使用した空爆の量は、第二次世界大戦で使われた全ての量をはるかに上回ると言われている。

そのせいで、今でも残った地雷や不発騨により怪我をする人が毎年出ているのは悲しい。
誰にでも優しいラオス人が傷ついていくのは悲しい。

今、ラオスでは人口の80%が農業を営み、水田耕作や焼畑を行ったり、またタケノコや薬草など森の恵みを利用しながら生活している。
それが近年では、生活環境が大きく変化し、化学肥料や農薬を使用した近代農業のやり方(一時的に作物量は上がるが土地が痩せ、長い期間での豊かさは望めない)が山間の村にも浸透してきたり、また企業による工場進出や植林の拡大によって、かつて村人が使用していた森林が徐々に失われつつある。国によるダムの建設での森林伐採も原因のひとつだ(日本が援助して作ったダムの影響でも、かなりの生活貧困者が出た)。

ラオスの人々の生活を助けてきた森がなくなるということはラオス人の心をもいでいくようなもののように感じる。
彼らは田んぼや畑で作物が獲れなくても、森の恵みで飢餓を防いできた。
失敗しても、何もなくとも何とかなる「ボーペンニャン」の気質はここから生まれているのではないだろうか。
彼らの大らかさが森のすべてを包み込む優しさの反映のように思うと、ベトナム戦争と同じように先進国がラオスに与える被害は少なくない。

昔はものを買うとバナナの葉に包まれてでてきたものが、今はビニール。
彼らはバナナの葉が土に帰ることはしっているが、ビニールが土に返らないことを知らないのだ。

そんな事実もある中、それでも私たちの見たラオスは、未だ多くの森林が残り、森林を中心とした豊かな生態系と調和した生活がまだ確かに息づいていた。

ラオスの人々には森とともにいつまでも「ボーペンニャン」と笑顔でいて欲しいと思う。

また会う日まで。

ゴミ捨て場で拾った知識

この文章はラオスの古都ルアンパパーンで会った青年の書いた文章です。彼は独学で日本語を勉強し、ついに日本語コンテストというラオスの首都ビエンチャンで開催されるコンテストの出場権を手に入れました。1位になると日本で勉強する権利が得られます。以下の文章はブイ君が日本語コンテストのために書いた作文になります。ブイ君に許可を取り、この文章を公開させていただきます。ラオスの現状が少しでも伝わったら幸いです。
ブイ君はこの文章を始めて見せてくれた時「僕の心を込めて書きました。宝物です」と言って渡してくれました。

「ゴミ捨て場で拾った知識」

みなさんこんにちは。はじめまして。
私の名前はウイエンサイです。あだ名はブイです。わたしは20歳です。
私のふるさとはラオスの世界遺産のルアンパパーンです。
日本語を勉強するのがとても好きです。

今日は私にとってとても大切なことを話したいと思います。
私は子どものときに勉強したかったのですが、村に教材が全然ありませんでした。
私にとっての初めての英語の本は、村の川沿いのゴミ捨て場から拾ってきました。
そのことはまだ私の心に残っています。
その挿絵がとても面白かったことを覚えています。
例えばりんごや鳥の絵などいろいろありました。
けれども全部で14ページしかありませんでした。

私は学校で勉強したかったのですが、授業料がとても高く、私の家族は貧しかったので友人たちのように学校に行く機会に恵まれませんでした。

ところがある日、私の夢が叶いました。村にボランティアで英語の先生が来たのです。
毎日私は古い自転車で学校に通いました。村から学校は遠く離れていたので、雨が降ったときは通うのはすごく大変でした。
私は先生と8ヶ月英語の勉強をしました。

しかし、ある日悲しいことが起こりました。先生が去ってしまったのです。でも、私は勉強することをやめませんでした。
毎日英語と日本語の勉強を続けました。
私は12歳で仕事をはじめ、そして稼いだお金を学校の授業料に当てました。それはすごく大変な日々でした。しかし、私は今の生活はいつか必ず良くなると信じて、頑張りました。
私には大きな目標がふたつあります。

ひとつはいつか奨学金をもらって日本で勉強することです。なぜなら日本語をもっと勉強したいからです。難しい目標ですが、精一杯頑張ります。

もうひとつの目標は先生になることです。なぜなら私は子どもたちに教えることが好きだからです。先生になり、恵まれない田舎の子どもたちに教えたいです。私は子どもたちに喜んでもらうことで暖かい気持ちになります。世界の子どもたちの笑顔が見たいです。私はより良い未来のために、より一生懸命がんばります。
いつか私の夢が叶うと信じています。どんな壁があっても私は乗り越えられます。

私は今まで生きていくことの厳しさを色々勉強しました。
新しいことを学ぶことは私の成長につながります。
今回、私は初めてビエンチャンに来ました。
この機会を通して、私は成長したと思います。
今はとても幸せです。

本日はお忙しい中お越しいただきまして、ありがとうございました。また、私のスピーチをお聞きくださいましたことを心より感謝しております。どうもありがとうございました。

 

これで文章はおしまいです。
ものすごく素直で人柄のよい、20歳の純粋さも兼ね揃えたブイ君とは、ルアンパパーンという街でご飯を食べる席が一緒だったことから知り合いました。
すぐに打ち解け、2日間一緒にすごさせてもらいました。彼の素晴らしさに触れ、心を洗われた想いです。
特に、一緒に行った村の学校で、飛び入りで授業をしていたブイ君の姿は心に焼き付いています。笑顔全快で体を思い切り使って授業する彼は、私が今まで見てきた先生の中でぴか一輝いていたし、彼の授業を受けたら、私だって今頃英語が大好きでぺらぺらだったに違いないと確信するほど、楽しくて素敵な授業でした。
あぁ、ここに彼の授業の映像が載せられないことが本当に悔やまれます。
いつか、何か彼の役に立ってあげたいと心から思います。
今、何も出来ない自分がいます。
本当に素敵なものをブイ君からはいただきました。
ずっと忘れません。ありがとう。

ラオスの子どもの教育事情

ラオスの子どもの教育事情について今日、「ラオスの子ども」というボランティア団体を尋ねました。教えていただいたことを感想と一緒にまとめます。

ラオスの義務教育は5年間で小学校5年生までになります。
日本の義務教育9年に比べたら、ものすごく短い!!
体育・美術・工作とかの時間なんてとれないそうです。
うわ~、唯一好きな時間だったのに!

しかも、実際に小学校5年生までのすべての学年を完備した学校は、全国8600校のうち、3500校しかないのが現状だそうです。
こっちで友達になったラオス人の男の子も学年が変わるごとに違う地域の学校に通わなくてはいけなくて本当に大変だったそうです。
これはかわいそう。
中には遠すぎて通うのをあきらめてしまう子どももいるんだとか・・・・・。日本人には想像できない世界です。

その状況下で、純就学率は男子88パーセント、女子82パーセントだそうです。
一部の子どもは、労働力として家族の生活を支えているため、学校には通えないという現実が残っています。

生まれた場所や家庭の違いで学校へ通うことができないということは、とても悲しいことだと思います。
勉強が出来なければ、将来豊かになる可能性も減ってしまい、貧しい家に生まれた子どもは一生貧しいままになってしまう可能性が高くなります。
日本でも最近このことが問題になっているけれど、日本の場合は子どものやる気さえあれば教材は溢れているし、近くに図書館だってあります。
でも、こちらの子どもは子どものやる気のあるなしにかかわらず、教材さえ足りていません・・・・・・。
ひとつ思うことは、勉強して家族を幸せにしたいと真剣に思っている子どもの数は、圧倒的に日本よりも多いんじゃないかということです。

日本で言う中学・高校の学年数はやはり6年間で、中学と高校に分かれてはいません。
学校数は小学校に比べるとものすごく少ない900校にとどまり、進学できる子どもたちが限られてしまいます。
特に学校が遠いというのは通う子どもの負担になり、特に女の子などは危ないからという理由で進学をしない場合もあるそうです。

それでもラオスは女の人が良く働いているし、家庭でも女の人が強いそうなのでそれは救いです。
逆に男の人は怠け者が多いんだとか。

成人の識字率は男性が77%、女性が61%です。

この識字率を見ていただけると察しがつくと思いますが、小学校1年生になって、彼らは初めて文字を習います。
日本と違い、両親が文字を教えることができないからです。

ラオスの学校には学年ごとにテストがあり、受からないと次の学年に進学することができません。中でも、文字をはじめて習う小学校1年生が一番落第者が多いそうです。

この背景に、ラオスでは母国語による教育が軽視され、口承で文化を伝えることが多かったため、社会に本が出回っていないということが挙げられます。
このため、本を読む機会が不足し、子どもたちは自ら能力を伸ばす機会を損ねています。
本を読むことは、知識を得るだけでなく、物事を多角的に見る能力を育て、道徳心を養うことにもなります。

本が少ないということは母親が子どもに本を読み聞かしたり、文字を覚えさせる機会も減らしてしまいます。

子どもにとって、実は本事態の内容はそんなに重要ではないと言われています。
母親にどんな声で語りかけてもらえたか、それが愛情を受けとったということになるのだそうです。
小さなころに本を読んでもらった子どもは自分の子どもにも同じことをするでしょう。
すると、愛情も伝わるし、文字を覚えることにも役立ちます。

ラオスでは、本がないために、文字をせっかく覚えても、文字を読む機会が少ないため、忘れてしまうことも多々あるそうです。

こうした現実を見て、本がたくさんある日本に生まれた私たちは実はとても恵まれていたのだということに、気づかされました。

こうした実態を打開しようと、今日お邪魔させていただいた「ラオスの子ども」というNGO団体では、子ども向けの図書を発行し、図書を学校に配り、学校に図書室を開設し、読書推進セミナー(こうしたプロジェクトが将来は現地の人々によって担われるよう、図書の維持・管理、図書室の運営方法、本の読み聞かせ方など教員に対するセミナーを行っている)を実施しています。
さらに、子ども文化センター(図書室を軸に、絵や工作、詩、音楽、踊りなど学校では行われていない表現活動の場)の運営の支援もしています。
また、画家や作家を育てるために、絵本作りのワークショップをしたり、コンクールを主催し、大賞を実際に出版するというような活動もしています。

以上の活動により、子どもたちにどんな成果があったかというと、①ラオス語の能力の向上、②知識を得た、③積極的になった(ラオスの子どもが消極的だった原因に先生の一方通行の授業がありました。本を仲介させることにより、先生が子どもに質問し、それに子どもが答えるということを繰り返したことで、子どもが積極的に発言をできるようになってきたそうです)、④勉強ができるようになった、⑤学校を休まなくなった(今まで怖いだけの存在だった先生が本を読んでくれるようになったということで、学校が面白くなった生徒もいたそうです)ということです。

「ラオスの子ども」についてもっと知りたい方は下記のURLからどうぞ
http://deknoylao.org

今日、お世話になったのは日本の女性の方で、ラオスの大好きな素敵な女性でした。
青年海外協力隊の隊員時代にたずねたとき、ラオスの人々にたくさんの優しさをいただいたから、それを返すためにライフワークとしてラオスの教育にかかわって生きたいと話していらっしゃったのが印象的でした。

私から見てもラオスの人々はとてもおおらかで優しく笑顔が素敵で、一緒にいると心から癒されます。
外の国の私たちにも気さくに話しかけてくれて、決してしつこくはありません。誰もが、ラオスは人が良いと言います。
今までアジアを旅していた中でもダントツに裏表のない人の良さを感じました。

近代化の波が押し寄せ、紙幣が流通したことにより、貧富の差が拡大し、物乞いなのどの貧困層が現れ始めたのはつい最近のことだそうです。

今まで、ラオスでは横のつながりが強く、相互扶助が当たり前、みんなが助け合って生きてきた民族です。
例えば、米が取れない飢饉のときも、飢え死にを一人も出さず、村人みんなが栄養失調になりながら支えあっていたこともあるようなそんな社会です。これがアフリカなら大変な餓死者が出ていただろうと言われています。

それが資本主義導入により、少しずつ崩れていっているのを目の当たりにするのは、本当に悲しいことです。
貧富の差を国の問題として捉え、みんなが自分の未来を自分で掴んでいけるような社会の実現のためには、やはり教育が不可欠でしょう。

ラオスの人々がいつまでも、おおらかに笑っていてくれることを心から願います。

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