今日も子どもは、未来のために一生懸命勉強し、生活のために一生懸命働き、生きるために笑顔で遊び、小さな失敗をして怒られ、とにかく精一杯動き回っていました。
孤児院では、できる範囲の修繕が終わり、壁へのペイントが終わりました。
壁の一面には世界地図とウガンダの地図を描き、子どもたちが楽しみながら覚えられるようにしました。
毎日、たくさんの子どもが見てくれてます!!
うれしい!!
ここでは孤児達の生活に寄り添って過ごし、気付いたことがたくさんあった。
孤児院の子どもたちは、自分たちの生活のため、各自、洗濯・掃除・料理・畑・破れた服の修繕・水汲みなどの仕事が割り振られていて、勉強以外にもやることがたくさんあり、毎日忙しく動いている。
生徒にとっては、毎日の何気ないことなのかもしれないが、私から見たらとても毎日なんて出来ないことだらけだった。
電気やガス、水道がないということは、何事にもものすごく時間がかかるということだ。
料理をするのも、洗濯をするのにも、掃除をするのにも、畑に水をやるのにも、水汲みからしなければならないのがどいうことなのか、ここで生活をして知った。
日本ではこんなに時間も手間もかかる大変なことはない。
なのに子どもたちは不満を言うことなく、一生懸命に働いている。
仕事に時間がかかるし、勉強もあるから遊ぶ時間は、日本の子どもよりずっと少ない。
そんな中でも子どもたちは自分なりに、自分は面倒を見てもらっているという意識があり、新米ボランティアの私たちにもとても気を利かせて、何かあるとすぐに手伝ってくれる。
日本から来たからか、余計子どもたちが健気に見えるけれど、ここでは当たり前のことをしているだけ。
環境が違うってものすごく大きい。
日本の子どもたちよりずっと自立していて、相手を思いやる心が育っている。
便利な世の中で、助け合う気持ちを育てるにはどうしたらいいのか、ここにいて考えさせられた。
具体的に子供たちの仕事を挙げていこう。
例えば料理、まずは薪が必要。
これは孤児院に併設された学校に通う生徒が、木の枝を持ってくる。
持ってこなかったらお尻を木の棒で叩かれるので、みんな大きな枝を抱えてくる。
次はこの薪となる枝を、かまどの大きさに合わせてポキポキと折っていく作業。
木の中にはとげとげの木もあり、生徒が手を切るのは日常茶飯事。
私も血を流しながら枝を折るのを手伝った。
小さな子が手を切ってしまう様子がかわいそうなのだけど、彼らはそんなこと気にも留めないみたいだ。
薪の用意が出来たら、直接、薪に顔を近づけて、火を大きくするために息を吹きかける。
このときに出る煙が目に入り、子どもは涙を流しながら火を起こす。
この煙は煙突もあるのだが、処理しきれず、料理中ずっとキッチンは灰色に煙っている。
灰色の煙の中、ポショ(タンザニアやケニアではウガリというトウモロコシの粉と水を混ぜた物)を練り、スープを用意するのは本当にきつい。涙も咳も止まらない。
このキッチンもっとどうにかしてあげられないのだろうか・・・・・・。
ウガンダの家はみんなこうなのかな・・・・・・。
いろいろなことを考えたが、今の私には料理を少し手伝うことくらいしか出来ない。
ウガンダの家ではやっぱり煙が溜まらないように、屋根が無かったり、屋外だったりというところもあるらしい。
ただ、薪が完璧に乾いていると、辛い煙も少ないようで、薪が濡れないように管理することもとても大切だそうだ。
いずれにしても料理には2時間から3時間かかり、この間に吸い込む煙の量を考えると、健康面は大丈夫なのかと心配になってしまう。
私もキッチンに出来るだけ生徒と一緒にいようとしていたけれど、途中何度も、キッチンの外の空気を吸いに顔を出さなければいられなかった。
もし、私がこの仕事を毎日しないといけないとしたら、考えただけで相当きつい・・・・・・。
子どもたちは不満も言わずに、当たり前のこととしてがんばっている。
小学校1年生くらいから、彼らはこういう環境で料理を作る。
すごいなぁ・・・・・・。
作業も薪の係り、水汲みの係り、野菜を畑から採ってくる係りと、採ってきた野菜を切る係りと、料理を任された生徒同士で相談し、分担しているのだから、しっかりもしている。
えらいなぁ。
と、料理だけで、私には苦労することだらけ、生徒には感心することだらけなのだ。
掃除は木の枝で箒を作るところからはじまる。
身近にあるものを生活の中でたくさん活かしているのだ。
その後は、掃いて、拭いてと、小学校の掃除を思い出す。
掃除機なんて便利な物は電気も無いので当然ない。
水も使える量は限られているから、雑巾は全面使い尽くす。
これも大変だけど、彼らには毎日の当たり前の作業。
洗濯には往復1時間かけて持ってくる湧き水を使う。
水曜日と日曜日が洗濯物の日、孤児20人分の着替えをいっぺんにするのは重労働。
たらいの中で石鹸を使って洗う。
子ども達はたくさん遊ぶから、砂だらけでぼろぼろの洋服を丁寧に洗っていく。
シャワーは大きな樽に入れた水をみんなで分けて使う。
ちなみに私達日本人は1日5リットルシャワー用の水がもらえるが、子ども達は体が小さい分、使える水ももっと少ない。
それをみんなで上手にわけあって、体と頭を洗うのは大変な作業だ。
きちんと洗わず頭に白カビが生えてしまう子もいる。
そういう子は、しっかり洗っているかを見張って、洗い方が雑だったら一緒に髪を洗ってあげる。
そんなこともあるから、女の子も含めて、ほとんどの子が頭をつるつるに剃っている。
水が貴重、水が少ないってこういうことをいうのだ。
私は子ども達と一緒に生活することを通して、アフリカの人たちの生活の、私達の生活から比べた大変さを知ることが出来た。
そして、その中で子ども達が、責任を持って仕事し、思いやりを持って助け合っている様子を見ることが出来た。
言葉にすることは難しいが、私はそんな子ども達がとても誇らしいと思う。
そして、もう少し、もっと何かしてあげられなかったものかと思うのだ。
かといって、もっと他の援助を考えられたかというと、今の私にその実力は無い。
もっとたくさんのものを知り、勉強して、もっと彼らの役に立てるようになりたい。
アフリカで実現可能な農業だったり、灌漑だったり、植林だったり、料理だったり、もっともっと知って行きたいと思った。
子ども達は今日も、自給自足を目指して、畑を耕し、鶏に餌を与え、頑張っている。
孤児院では、みんな分担で生活のための仕事を持っているから、中学校(孤児院は幼稚園と小学校のみ併設していて、中学生になると地元の学校にお金を出して通わせている)に孤児院から通っている子ども達は部活をすることも、放課後遊ぶことも出来ない。
かわいそうだと思う。
部活って日本では当たり前にみんなが参加できるものだけれど、ここではそんなことは少しも当たり前なんかじゃない。
彼らがここで生活していくには、部活動よりも生活のために働くことが必要なのだ。
そうしていくしかない。
もちろん、子どもらしい姿だってたくさん見ることができて、授業の合間にある休み時間のはしゃぎようはすごい。
力いっぱい元気に走り回って、笑顔を降りまき、全力で抱きついてくる子どもはやばいくらいかわいい。
やっぱり子どもは子どもなのだなぁと思うし、この子達の未来もこの元気な笑顔に溢れていて欲しいと心から思う。
体育やお絵かき、レゴの授業はみんな生き生きしていてとても楽しそう。
疲れていても、がんばろうと思ったのは子どもの笑顔に支えられたから。
朝早くから起き、仕事をし、学校で学び、仕事をし、夜御飯後の就寝前は、暗い中にランプで灯りを取り、自習している。
ランプの光では暗いから、目が悪くなるのではと心配してたけど、ろうそくの光で勉強する子も多いから孤児院の子どもはまだめぐまれているという。
私たちには当たり前のことが、こんなにも当たり前じゃない世界があるのだと思い知った。
こんな大変な生活をしている子ども達が日本にいるだろうか。
たった17日間だけど、毎日見ていたから、彼らの未来が明るいことを強く願っている。
そしてこれからも子どもたちの素敵な笑顔が続くよう、ずっとこの施設の応援をしたいと思う。
追記・・・・・・もし、読んでいる人の中でこういう場所で役立ちそうな技術のある人がいたら、ぜひ教えて欲しいです。
そして、機会があったらニュートピアで活かして欲しいです。
生活は日本とは比べ物にならないくらい、不便で大変だったけど、アフリカの人の半数以上がやっぱり電気もガスも水道も無い暮らしをしていることを思えば、アフリカの体験ができてよかったと思う。
それに、毎晩満天の星空に流れ星を探し、クリスマスツリーのようにピカピカ光る蛍を見つめ、何より子どもの笑顔とともに生活できたことは、本当にすばらしい体験になった。
子どもの笑顔にたくさんの勇気と元気と未来への責任感を教えてもらって、ウガンダでは本当にいい経験ができました

